朝、知らない会社から電話が入ります。「◯◯さんの退職の件でご連絡しました。本日付で出社はいたしません」。
受話器を置いたあとの、あの静けさ。本人からは何も聞いていない。昨日まで普通に働いていた。——退職代行を「使われた」側になった瞬間です。
私は人事・労務として10年働き、そのあと退職支援の現場で1,000件以上の面談を担当してきました。つまり電話を受ける側と、電話をかける側の両方を経験しています。
この記事では、会社側・上司・人事の方に向けて、退職代行から連絡が来たときに何をすべきか、何をしてはいけないかを、法律の根拠と実務の順番で整理します。最後に、これから退職代行を使おうか迷っている方にも、会社側から見えている景色をお伝えします。
- 退職代行からの連絡は拒否も無視もできない理由
- 電話を受けた直後の30分でやること
- 相手が民間・労働組合・弁護士のどれかで、会社の対応がどう変わるか
- 有給・退職日・引き継ぎ・私物の扱い
- 会社が期限内に済ませる事務(離職票・社会保険・賃金)
- 絶対にやってはいけない5つと、そのリスク
- 上司の評価・残った同僚のケア・再発防止
まず結論|退職代行からの連絡は「拒否できない」
2週間後に退職は成立する(民法627条)
最初に押さえてほしいのはここです。期間の定めのない雇用契約では、労働者が退職を申し入れてから2週間が経過すれば、会社の承諾がなくても契約は終了します(民法627条1項)。
退職代行は、この「申し入れ」を本人の代わりに伝えているだけです。伝え方が本人でも第三者でも、法的な効果は変わりません。会社が「認めない」と言っても、退職は止まらない。これが出発点です。
無視しても、退職は止まらない
「業者からの電話なんて相手にしなくていい」と考える方がいます。気持ちは分かります。しかし、無視して困るのは会社側です。
| 会社が無視すると | 実際に起きること |
|---|---|
| 退職の意思表示 | 本人の意思表示は届いているので、2週間で退職は成立する |
| 離職票を出さない | 本人がハローワークに申し出れば、ハローワークから会社に確認が入る |
| 賃金を払わない | 労働基準法に反する。労働基準監督署への申告につながる |
| 連絡を放置 | 労働組合や弁護士が相手なら、団体交渉や内容証明に発展することがある |
「ショック」は自然な反応です
使われた側の上司や人事の方から、よく聞く言葉があります。「裏切られた気がする」「何も言ってくれなかった」「自分の何が悪かったのか」。
その感情は自然です。私も初めて電話を受けたとき、しばらく席を立てませんでした。ただ、面談を重ねて分かったのは、退職代行を使う人の多くは「会社が嫌い」というより「言い出す勇気が持てなかった」ということです。
本人の弱さでも、上司の失敗でもなく、「言い出せない構造」があったと受け止めるほうが、次の対応が冷静になります。感情の整理は、事務を終えたあとで構いません。
電話を受けた直後の30分でやる5つのこと
順番が大事です。ここを間違えると、あとで揉めます。
相手が「誰か」で対応が変わる|民間・労働組合・弁護士
退職代行には3つの運営形態があり、法律上できることがまったく違います。会社側は、相手がどれかで応じ方を変える必要があります。
| 運営形態 | 相手にできること | 会社側の正しい応じ方 |
|---|---|---|
| 民間企業 | 退職の意思を「伝える」だけ | 意思表示として受領する。有給や退職日の「交渉」には応じない(下記) |
| 労働組合 | 団体交渉権にもとづく交渉 | 団体交渉の申し入れがあれば誠実に応じる義務がある(労働組合法) |
| 弁護士 | 本人の代理人として交渉・請求・訴訟 | 以後の連絡はすべて弁護士宛てに。本人への直接連絡は避ける |
民間業者が「交渉」してきたら、応じてはいけない理由
弁護士でない者が報酬を得て法律事務(交渉など)を行うことは、弁護士法72条で禁じられています。いわゆる非弁行為です。
つまり民間の退職代行業者が「有給を全部消化させてください」「退職日を早めてください」と条件の掛け合いをしてきた場合、それは業者側の問題になりえます。
民間業者には「ご本人のご希望として承ります。会社としての回答はご本人宛てに書面でお送りします」と伝えるのが安全です。交渉はしない。意思表示は受ける。この線引きだけ守ってください。
労働組合からの連絡なら「団体交渉」として扱う
労働組合が運営する退職代行は、本人がその組合に加入したうえで、組合として会社に交渉を申し入れる形をとります。会社は正当な理由なく団体交渉を拒めません。
とはいえ、退職代行の場面で求められるのは「退職日の確定」「有給の扱い」「書類の送付」程度がほとんどです。身構える必要はありません。書面で条件を確認し、法律どおりに応じれば終わります。
弁護士が相手なら、窓口を弁護士に一本化する
弁護士は本人の代理人です。会社が本人に直接連絡すると、「代理人を通さずに接触した」としてトラブルのもとになります。以後のやり取りはすべて弁護士宛てにしてください。
弁護士が出てきている時点で、未払い残業代やハラスメントの請求が続く可能性があります。会社側も顧問弁護士か社会保険労務士に早めに相談してください。
有給・退職日・引き継ぎはどう扱うか
有給休暇は拒めない(労働基準法39条)
「引き継ぎもしないで有給だけ取るのか」——気持ちは分かります。ただ、年次有給休暇は労働者の権利で、会社は原則として取得を拒めません。
会社には「時季変更権」がありますが、これは別の日に取らせる権利です。退職日を過ぎたら取らせる日がないので、退職前の有給消化に対して時季変更権は事実上使えないと理解されています。
退職日は「申し入れの翌日から数えて14日後」が目安
本人が「即日退職したい」と言っている場合でも、法律上は申し入れから2週間で退職が成立します。実務では、その2週間を有給や欠勤で埋める形で「実質的に即日」となるケースが大半です。
| 本人の希望 | 会社側の現実的な扱い |
|---|---|
| 即日退職したい・出社しない | 2週間後を退職日として、その間は有給消化または欠勤扱いで合意する |
| 有給を全部使いたい | 残日数を数え、有給の最終日を退職日にする |
| 退職日は会社に任せる | 2週間後を基準に、給与締め日など事務上きりのよい日を提案する |
引き継ぎは「お願い」はできるが、強制はできない
出社しない本人に引き継ぎをさせることは、事実上できません。できるのは、業者を通じて、書面での引き継ぎ(担当案件・パスワード・保管場所など)を依頼することまでです。
多くの業者は、本人が用意した引き継ぎメモを会社に送ってくれます。「最低限これだけは教えてほしい」という項目を具体的に書いてメールで渡すと、返ってくる確率が上がります。
会社が期限内に済ませる事務(人事・給与担当向け)
退職代行を使われたときの事務は、通常の退職とほぼ同じです。違うのは「本人と直接やり取りできない」ことだけ。期限のあるものから順に片づけてください。
| 手続き | 期限の目安 | 補足 |
|---|---|---|
| 雇用保険 資格喪失届・離職証明書 | 退職日の翌日から起算して10日以内にハローワークへ | 離職証明書には本人の署名欄がある。出社しない場合は郵送で対応するか、本人の記名が得られない旨をハローワークに相談 |
| 健康保険・厚生年金 資格喪失届 | 退職日の翌日から5日以内に年金事務所へ | 保険証の返却が必要。郵送で回収する |
| 最終給与・未払い賃金 | 本人(代理人)から請求があれば7日以内(労働基準法23条) | 通常の支払日でも可だが、請求があったら7日以内 |
| 退職証明書 | 本人から請求があれば遅滞なく交付(労働基準法22条) | 記載事項は本人が求めたものだけ |
| 源泉徴収票 | 退職後1か月以内が目安 | 年末調整の対象外になるので確定申告に必要 |
| 住民税の異動届 | 翌月10日までに市区町村へ | 普通徴収への切り替え、または一括徴収 |
| 貸与品の回収・私物の返却 | 期限の定めなし | すべて郵送。着払い・元払いの取り決めを業者経由で確認 |
絶対にやってはいけない5つ
ここからは、私が実際に見てきた「やってしまいがちで、会社が損をした対応」です。
① 本人や家族に何度も電話する
本人が代理人を立てている以上、「本人に直接確認する」は避けてください。緊急連絡先の家族にかけるのも同じです。執拗な連絡は、それ自体がハラスメントや強要と評価されるリスクがあります。必要な連絡は、業者・組合・弁護士経由で、書面にしてください。
② 「退職届を出すまで認めない」と言う
退職届は証拠として便利ですが、退職の効力に必須ではありません。意思表示は代理人経由でも成立します。「本人の直筆がないと受理しない」と突っぱねると、退職日が争いになるだけです。必要なら、業者経由で退職届を郵送してもらうよう依頼すれば足ります。
③ 有給を「認めない」「買い取らない」で押し切る
前述のとおり、有給の取得は拒めません。「うちは有給消化を認めていない」は法的に通りません。労働基準監督署への申告があれば、是正勧告の対象になりえます。
④ 離職票・源泉徴収票を出し渋る
「本人が取りに来るまで渡さない」は、本人が失業保険を受け取れなくなるだけで、会社側は何も得ません。ハローワークから会社に確認が入り、対応の遅れが記録として残ります。
⑤ 損害賠償や懲戒解雇で脅す
「突然辞めたのだから懲戒解雇にする」「損害賠償を請求する」と言いたくなる気持ちは分かります。しかし、退職の申し入れ後に懲戒解雇を持ち出すのは、報復と見られやすく、無効と判断されるリスクが高い対応です。損害賠償も現実には極めて難しい。脅しに使えば使うほど、相手は弁護士を立て、会社側の負担が増えます。
上司の評価・残った同僚のケア
「自分のせいだ」を引きずらないでください
上司の方から「自分の評価はどうなるのか」「自分の管理不足なのか」という相談を受けることがあります。
正直に言うと、評価への影響は会社の文化次第です。ただ私の経験では、「退職代行を使われたこと」そのものより、「そのあと上司がどう振る舞ったか」のほうが、人事は見ています。感情的に本人を責めたり、部下に愚痴を広めたりした上司のほうが、評価を落としています。
- ✅ 本人を悪く言わない(残った部下は、全部聞いています)
- ✅ 「自分の何が悪かったか」より「何が言い出しにくかったか」を考える
- ✅ 人事に事実だけを報告し、対応を一緒に決める
- ✅ 引き継ぎの穴は、チームで分担する形にして、特定の誰かに背負わせない
残った社員への説明
職場に「退職代行を使われた」と広めるのは避けてください。一方で、隠しすぎると憶測が広がります。
「◯◯さんは退職されました。手続きは人事が対応しています。担当業務は当面◯◯さんと◯◯さんで分担します」——事実・体制・担当の3点だけを、退職日が確定した段階で伝えるのが落としどころです。
再発を防ぐ|人事が見直すべき3つのこと
1,000件以上の退職相談を聞いてきて、退職代行を選ぶ人の話には、はっきりした共通点がありました。「辞めると言ったときに、何が起きるか分からなかった」ということです。
① 退職の手続きを「見える化」する
誰に、いつまでに、何を言えばいいのか。退職届の書式はあるのか。有給は使えるのか。これが社内で明文化されていない会社ほど、退職代行を使われます。就業規則の該当ページを、入社時に渡す資料に入れるだけでも変わります。
② 「引き止め」のやり方を決めておく
退職を伝えたら上司に怒鳴られた、何時間も引き止められた——面談でいちばん多く聞いた話です。引き止めるなとは言いません。ただ「引き止めは1回、理由を聞くのは本人が話したい範囲まで」という線を、管理職に共有してください。
③ 直属の上司以外に「言える窓口」をつくる
退職を言い出せない理由の多くは「直属の上司に言えない」です。人事への直通窓口、匿名の相談フォーム、斜めの関係の先輩——上司を飛ばして伝えられる経路が1本あるだけで、退職代行を使う必要がなくなる人はかなりいます。
これから退職代行を使う側のあなたへ
ここまで会社側の視点で書いてきましたが、この記事を読んでいる方の中には、これから使おうか迷っている方も多いと思います。会社側がどう動くかを知ったうえで、ひとつだけ伝えたいことがあります。
会社は、あなたが思っているほど怖い動きはできません。退職は2週間で成立し、有給は拒めず、離職票は出さなければならず、損害賠償は現実的でない。ここまで読んだとおりです。人事側は「淡々と事務を進める」のが正解だと分かっているので、まともな会社ほど静かに終わります。
逆に、業者選びだけは慎重にしてください。民間業者は「伝える」ことしかできません。有給の日数や退職日で会社と話し合う必要があるなら、労働組合か弁護士が運営するサービスを選ぶ。ここを間違えると、安く済ませたつもりが、結局あなたが自分で会社と話すことになります。
- ✅ 会社と「話し合い」が必要か → 必要なら労働組合か弁護士
- ✅ 伝えるだけでいい → 民間業者でも足りる
- ✅ 離職票・源泉徴収票の受け取り方法を、申し込み時に確認しておく
- ✅ 貸与品は自分で郵送する準備をしておく(会社に行かなくて済む)
よくある質問
まとめ|感情で動かず、法律どおりに、早く終わらせる
- ✅ 退職代行からの連絡は拒否も無視もできない。2週間で退職は成立する(民法627条)
- ✅ 最初の30分で、相手の運営主体・本人の委任・要件の書面化を済ませる
- ✅ 民間業者とは交渉しない(非弁行為)。労働組合・弁護士とは法律どおりに応じる
- ✅ 有給は拒めない。退職日は残日数から決める。引き継ぎは書面で依頼するまで
- ✅ 離職票は10日以内、賃金は請求から7日以内。事務を止めない
- ✅ 本人・家族への執拗な連絡、退職届の強要、損害賠償の脅しは会社が損をする
- ✅ 上司の評価は「使われたこと」より「そのあとの対応」で決まる
- ✅ 再発防止は、退職手続きの見える化・引き止めの線引き・上司以外の窓口
退職代行を使われた日は、会社にとって気持ちのいい日ではありません。でも、その日にどう振る舞うかで、残った社員があなたの会社をどう見るかが決まります。
淡々と、法律どおりに、早く終わらせる。そして、言い出せなかった構造を一つ直す。それが、私が人事の側と辞める側の両方を見てきて、いちばん確かだと思う対応です。
※本記事は2026年9月時点の法令・行政機関の公表資料および筆者の実務経験をもとに整理した一般的な情報です。個別の事案では結論が変わります。具体的な対応は、顧問弁護士・社会保険労務士、または労働基準監督署・労働局の総合労働相談コーナーにご相談ください。主な参照:民法627条、労働基準法16条・22条・23条・39条、弁護士法72条、労働組合法、ハローワーク「被保険者が離職した場合の事業主が行う手続き」。



